みなさんこんにちは。ふぃおーれ・めろです。
精神疾患の双極性感情障害を持っています。
この疾患に向き合えるようになるまで何十年とかかりました。
そんなめろ氏の考えていること、どうやって解決できたりできなかったりしたのか。
ちょっと覗いていってください。
今回は双極性障害のちょっと変な行動についてお話ししたいと思います。
あくまでめろ氏個人の主観に依るものです。
めろ氏が双極性障害によるコミュニケーションの取れなさを感じたのは、実は小学生1年生の時。東京の小学校から神奈川の小学校に引っ越してきて少し経った頃。
学校ではお昼の時に歌や音楽が放送されていました。ある日クラシックの音楽が流れた時に、おもむろに立ち上がり、音楽に合わせてヴァイオリンを弾く仕草をしました。ヴァイオリンは少しだけ習っていました。
当然周りの子はなんのことだか分からない。実は本人も何故やったかは分からない。音楽が流れたから衝動的にやったのです。
まだ小学1年生の時ですから、周りもそんなに気にしてはいなかったと思います。先生以外は。
なぜかこのシーンは鮮明に覚えています。記憶力には全然自信がないのですが。
周りのことを気にすることなく自分の満足のいくように行動するのは、今思えば双極性障害の行動そのものだったと思います。
そしてこの行動の裏にあるのは何かと考えてみたことがあります。
承認欲求。最近よく聞くようになった言葉ですね。この言葉が一番よく当てはまります。
めろ氏は小学校に入るまで喘息で入院していることが多かったそうです。幼稚園はほぼ通っていません。柵のついたベッドで苦しい時にママには会えません。苦しくて寂しい時にナースコールをしても看護師さんも忙しいですから一人一人にゆっくりした時間は取れません。当時はそれに「理不尽」を感じていたのではないでしょうか。
それによりみんなに構ってもらいたくてヴァイオリンを弾く仕草をして凄いと思わせたかった。
でも周りのお友達は急に立ち上がって「なんか変なことしている」と思ったでしょう。
ヴァイオリンなんて小学校1年生で親しみのある楽器ではありません。
異様な光景もその後のイジメの要因の一つとなったでしょう。
その頃のめろ氏は相手の気持ちを考えるなどできませんでした。
でもまぁ7歳の考えることなんてもしかしたらあながち間違ってないのかもしれません。
多かれ少なかれ相手に想ってほしいと考えるのは普通なんでしょう。
ただめろ氏の場合150%の出力で表現してしまっただけなんです。
それがもし失敗したらどうするか。
何もしません。無力感を極度に感じ出力0%で生活します。
大人になるとこれが鬱症状となって現れるようになりました。
「ひとと違う」そう考えるようになったのは大人になって鬱になってから。
このお話はまた今度。
では、今回はこれでで失礼します。
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